10/12

とうとうNHKがニュースとして流した「世田谷で高い放射線量」、まさしく先日ここで書いた場所です。はあ、しかしなんて時代になってしまったのだろう、と単純にそう思うだけです。明日、子どもたちの保育園で「芋掘り」というかなりオールドスクールな行事が執り行われ、上の娘はとくにNori-Noriで楽しみにしている。当たり前か…。あのふかふかな畑の土に両手をぐわしぐわし埋めては掘り起こす原始的な作業、キモチEもんな〜。

 

そんなことですら「どうなんだろ?危険ではないのか?」などと危惧して我が子らは行かせない保育園で留守番、みたいな仕打ちはどう考えても可哀想だ。でも放射能汚染のリスクから最善の策をもってして子を守るのは親の責任です、という考えも強力な力を帯びているのは事実です。「目に見えない敵」だから尚さら、その防御壁は神経質なほど高くなって行く構図…

 

現在の放射能汚染に関する「先の見えない不安」、これは実はこれからどんどん数値化されては確実に明らかにされてゆく「現実」に向かって行っているプロセスでしかない。悲しいかな。

 

近い将来その「現実」と向き合ってしまったトキに、果たしてそれを回避する「最善」をしていたか、してあげられていたか?そんな鬱屈とした未来に立ち向かうべくして行動するのが、今を生きるオトナの責務なのでしょう。

 

天災地変、半世紀前の国政と東電、いまの政治、メディア、陰謀、それら数え切れない理由の積み重ねへの怨念、絶望、憤怒、諦観、軽蔑、偏愛、切望、抱えれないほどの情感を抱いては可能な限りの明日を夢みるのが、今を生きるオトナの責務なのでしょう。